私とレズビアンバーの話

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少し前の話。2024年の1月のこと。長年通った東京・中野のレズビアンバー、Cynical Bondから閉店の報せをもらって、ぐったりくるほど悲しくなった。そこはカウンター9席程度の小さな店で、いかにも水商売といった営業をしていたわけでもなく、だからといって「飾らない」と形容するのもちょっと違う、とりあえず小綺麗な店だ。綺麗といっても別に上品というわけでもない。普段着で来る地元のお客もたくさんいた。若い子も年寄りも来ていた。私の好きな店。

慌てて顔を出したら、オーナーはちょうど次の3月で18周年になるところだったと言った。「ああそれはうちらも年をとるねえ」としばらくたわいない会話をして、久しぶりにアイラのウイスキーをショットでやったら、すっかりとんでもねえテンションになってカッ飛ばしてしまった。ここ数年そんなことはなかったのだが、めずらしく酒のことで反省した。モルトだとかラムだとか、一癖ある酒をストレートでキュッと飲む、そんな感じのやり方をかつて私に教えてくれたのはこの店だった。

18年前、新宿2丁目のレズビアンバーで隣に座った女がこの店を教えてくれた。当時、どこそこに新しい店ができたなどという情報は、たいていバーに居合わせた女たちから仕入れていた。もしくは、バーカウンターの隅にまとめて乱雑に置かれていることの多い、フライヤーや名刺から。今ほどインターネットの情報が豊富ではなかった時代だ。
初日は紹介者の顔を立てるためにおとなしく飲んだ。翌日にもう一度、今度は私一人で行って、そこからは自分の気に入りの店ということにした。中野区に住んでいた一時期、そこそこ通って騒いだものだ。中野を離れてからはごくたまに、ぽつりぽつりと思い出したように覗きに行っていた。


私はレズビアンバーのくだらない雑談を愛している。
私は酒とおしゃべりを求めてバーに来る、自分のような女たちが好きだ。バーとの関わり方は人それぞれ、恋愛を求める人も少なくないだろうが、私にとってはいたってシンプルである。雑談。ひたすら雑談。いつでもそこに行けば雑談があるということが重要で、女たちの集まりが存在していることをこの目と耳で確認できれば大いに満足だ。

誰かがやらかした話を聞いて笑うのが好きだ。他人の揉め事もこちらに害が及ばないうちは笑える。恋の悩み相談は面倒臭いので適当に流す。陰口も平気で叩くし面白がって聞く。まったく褒められたものではない。最近は更年期や病気や親の介護や葬式や墓の話、それから昔話。笑えるエピソードは何度でもしゃべる。アンタあの話して、あの話聞かせてと言い合う。面白い話は何度でも聞きたい。ご新規が来たら教えてあげたい。繰り返されるおしゃべり。いつでも初めて聞いたような態度でリアクションできる。永遠に続けていたい。


20代、30代、40代と、かなり長きにわたり、私は東京のレズビアンバーに通い続けた。頻度は時代によってまちまちだが、20代はちらほら、一番飲んだのは30代だ。今もたまには出かけるが、回数はずいぶん減った。なにしろ体力がない。その昔、上の世代のお姉さんたちはみんな口を揃えて言っていた、「もう体力がー」と。今、自分もまったく同じことを言っている。

あの年代、あれらの店がなかったら、私の人生はどうなっていたのか、そんなことを考えてしまうほどには、レズビアンバーはレズビアンとしての私の生活の重要な位置にあった。拠点のようなものになっていた。若い人には理解し難いだろうが、私は酒がコミュニケーションのツールとして、今よりはるかに重要視されていた時代に育った人間だ(よい時代だったと言うつもりはない)。若きクィアの皆はアプリやSNSで気の合う仲間と出会い、より酒に依存しないコミュニケーションでやっていっているようだ。それはそれでよいことと思う。

かつて私がレズビアンバーにずいぶん通ったのは、おおむねそこが女性やクィアのためだけに開かれている場所だったからだ。フェム・レズビアンの私は社会で不可視化され、黙っていれば「結婚し(でき)ないシスヘテロの女」と見做されるが、バーでは当たり前のように「普通」でいられる。今よりはるかに偏見のきつかった時代、どれだけ自尊心を高め、存在を肯定してくれたことか。そのドアの内側に入る「資格」があって、払えるお金がいくらかでもあれば、そこはとてもやさしい空間なのだ。

しかし最近はとまどうことも多い。女性かつ性的少数者として日常生活を送っていると、自分のことをマイノリティの中のマイノリティ、最弱の存在として見る癖がつく。そしてレズビアンバーは、そういった弱い者たちだけに開かれた場だから、皆が同じように「主流派」でいられる──、はずだったのに。
これは最近ようやく気付いたことだが、このような「避難所」を得られるだけでも幸運で、しかもその中で、私の持っている「カード」は相当強い。シスジェンダーで、健康で、稼ぎがあって……。こんなに強いのに、ほかの皆も自分と同じようなもので、自分と同じようなスタートラインから始めていると思っていた。こうしたことを私に教えてくれたのはSNSだ。そこにはバーでは会わないような人がたくさんいて、正直、私にとっては祝福でしかなかったレズビアンバーという場所について、どう考えていいのか若干わからなくなった。簡単に言えは特権の話だ。

そこに入る資格は誰にあるのか──。このような話の中で辟易するのは、「ルールを示せ」「ルールを作れ」という声が出ることだ。現実には、個人経営の小さな店のあり方は非常に属人的で柔軟なものだと認識している。私が見てきた現場の判断は例外だらけだった。結局、いろんな女やクィアがいた。
ルールを作ればこぼれる者が出て、排除が生まれるものだし、それは小さな店の実態に即していないように思う。念のため書くが、私はレズビアンバーが誰にでも開かれるべきだとは思わないし、ある程度の枠組みは必要だ。いずれにせよ私はただの客で、他人の商売についてとやかく言う資格がないことはわかっている。


それにしても、慣れ親しんだ店の仕舞いを目の当たりにするのは悲しい。私にはもはや、これから新しい若い店を開拓して通いたいという気持ちは全然なく、ただ居場所が減っていくのを眺めているのみだ。これまで出会った一人ひとりを思い出すことなどとうていできないが、どうかみんなどこかで幸せに、いつまでも健やかでいてほしい(最近、いくつか訃報が届いた。つらい)。

90年代のいつだったか、所用で購入した雑誌(おそらく『宝島』)を見ていたら、新宿2丁目が特集されていた。主にゲイバーの情報でうめられた誌面の一部が、レズビアンバーやおなべバーに割かれていたように記憶している。私がレズビアンバーというものの存在を初めて知ったのはその時だ。そこに掲載されていた簡素な地図を頼りに、なんとか『KINSWOMyN』を探しあてた20代の自分をほめたいと思う。あれから長い時間が経った。自分が通った東京のいくつものレズビアンバーのそこここに、人生で忘れられないたくさんの出来事がちりばめられている。今もよく行く店。もう記憶の中にしかないいくつもの店。そしてここへきてまた一つ、慣れ親しんだバーが記憶の中の存在になった。寂しい以外に言うことはない。

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